俺は応接用の長ソファーに座り、この雑誌社の経理などの事務作業一般を任されているセイヴァこと「シェルク・セイヴァ」の尋問を受けている。以前、俺とクエス達がシガークラブ「R&J」で初めて出会った時に話していた「私レズだから」と言って、クエスのプロポーズを蹴った彼奴の幼馴染でもある。自分を振った女性とよく一緒に仕事する気になるなと俺は思う。俺だったら絶対に無理だ。
感情の起伏が全く顔に出ない彼女にここまでの経緯を話し、何とか納得してもらう事に成功した。
「成程、あの部屋は貴方が住む事になったと、そして事故物件扱いされていたのはハウスキーパーの不具合によるものだと言うのですね」
「そうゆう事」
「そうっス」
「そうでしたか‥‥‥今回の雑誌の目玉になると思ったのですが‥‥‥」
俺の話を聞き終えると、セイヴァさんは右手で左肘を支えて左手で顎先を掴んだポーズで何やら考え事を始める。俺もリコも彼女の無表情で独特の空気感に話しかけ辛くなってしまい、暫く彼女の様子を窺う事しか出来なくなる。
とは言え、沈黙して居るのも段々と耐えられなくなって来た俺は、さっきから頭に浮かんでいる質問を勇気をもって彼女にぶつけてみる事にした。
「ところで事前調査とかしないのか?」
「どういう意味ですか?」
「ほら、俺はアソコが事故物件だと役所で聞いたんだ理由もな。そうすれば取材なんかしなくても、何故事故物件扱いされている理由は分かったんじゃないかって」
「一応取材はしてもらいました。社長に」
「自分で行かなかったの?」
「色々な雑務を熟さなくてはならないので、其れに私は記者では無いですから」
「ああ、そうなんですか‥‥‥」
「そうゆうのは社長とそこのヘイド君に頼んでるんです」
すると背後からリコが耳打ちして来た。
「記者云々と言うより、セイヴァさん見ての通りですから取材とか無理っス」
成程と理解していると、セイヴァさんがジーっと此方を黙視して来る。美人に見詰められるのは男として嬉しい限りだが、こと彼女に見詰められるのは御免被りたい。何故なら視線が針の様に痛いからである。目鼻立ちが整いキリッとした知的な女性で、さらにメガネ型の端末を掛ける事によってそれが一層際立っている。だが、この鋭く人を射抜くような視線と、殆ど無表情なのはいただけない。これでは取材相手は委縮して何も話せなくなる。取材は相手に色々な事を話してもらわなければならないため、出来るだけ警戒心を抱かせない様にしたりして話しやすい環境に持ってくのが鉄則だ。
まぁ、記者じゃないそうだから関係は無いと思うが‥‥‥彼女は普段話をする事とかあるのだろうか? 家族とか友達とかそう言う人たちはいるのだろうか? 悪いとは思うがセイヴァ女史の家族構成や友人関係が知りたくなって来た。
とは言え、クエスに取材の依頼をしたのは失敗だな。あいつのあのやる気の無さを見る限り適当にある事ない事うわさ話を聞いただけで、それをそのまま報告したと言った処だろう。肝心な事は何一つ調べてないから今日のみたいな事が起こるのだ。まぁ、彼奴には天罰が落ちる事を期待しよう。
それから俺は3つ並んでいる机の内の空いているひとつを使わせてもらい、そこでクエスの野郎がどの面下げて戻って来るのかを内心ワクワクしながら待った。
その間、セイヴァ女史は俺の向かいの席でパソコンのディスプレイを眺めて仕事をしている。こっちから見て彼女の机は横向きに置かれているので、彼女の横顔が見える。
横顔も素敵だ。
確かにクエスが告白したくなる気持ちも分かる。だが、レズビアンとはちょっと残念ではある。まぁ、人の性に関してはあまり口を出すのは止めよう。
「私の顔に何かついていますか?」
セイヴァさんがパソコンの画面を見たまま俺に話しかけて来た。
「えっ!? いえ、何でもありません!」
「でしたら私の顔を見詰めないでください、気が散ります」
「す、すいません‥‥‥( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」
美人なのでついつい見惚れてしまった。俺は彼女の仕事を邪魔しないように、隣の席で年代物のカメラを磨いている後輩君に小声で話しかける。今時そんな物で撮ってるんだと思ったが、此方も人の自由だから突っ込むのは良そう。
「何時もあんな感じか?」
「そうっス‥‥‥ああでも社長の前だと表情豊かになるっす。と言ってもほんのチョットだけ、本当に微妙な変化ですけど‥‥‥」
「ああん? そうなのか? そいつは楽しみだ」
「と言っても本当に微妙な変化で分からないかもしれませんよ。僕は分かるのに1年かかりました」
「え、そ、そんなに? 後輩君が鈍いだけじゃないのか?」
「失礼っすね、こう見えてもカメラマンとして人の微妙な表情の変化は見逃さない自信があるっす!」
「フ~ン」
俺はリコの話半分で聞きつつ、クエスと彼女の関係をもう一寸突っ込んで聞いてみる事にした。勿論、セイヴァさんには聞こえないくらい小声でひそひそとな。
「なぁ、何であの二人一緒に仕事してるんだ?」
「如何いう意味っスか?」
「イヤよ。俺だったら自分の振った女性と一緒の職場は居づらいって言うか‥‥‥」
「あの二人は子供の頃からの幼馴染っス」
「そりゃ前聞いたよ。仲良しな幼馴染だったとしてもよ、フラれたらそれはそれで関係に亀裂が入ってもおかしくないだろ?」
「そうっスね。ただここはセイヴァさんの持ちビルなんス」
「えっ!? 彼女、此処のオーナーなの!?」
思わず大声を出してしまった。その声に当然セイヴァさんも気付いて俺の方に顔を向け、視線が合うと彼女はクイッと眼鏡を上げる。
も、もしかして俺たちの階は聞こえてましたか‥‥‥?
後輩君曰、このビルは元々セイヴァさんのお父様の持ち物らしく、彼は他にも数棟のビルを持っている不動産貸賃業者らしい。このビルは彼女の二十歳の誕生日にプレゼントされたもので(誕生日プレゼントがビルだなんて‥‥‥)、彼女はそこからオーナーとして父親の仕事を学んで手伝う事になったそうだ。そんなこんなで半年前に新聞社をクビになったクエスと勢いで付いて来た(勢いだったんだ‥‥‥)リコが転がり込ん出来たと言う訳である。
元々、クエスとセイヴァの父親が学生時代からの親友で、その縁もあって二人は幼馴染になった様だ。クエスの方が5歳年上と言う事もあって、周囲からは幼馴染と言うよりは仲の良い兄妹に見られてたそうだ。その縁があったためこのビルの2階のフロアを貸して貰い彼奴は雑誌社を始めたのだ。しかも家賃はタダだとよ。あと、タダで貸す条件が彼女を事務員として雇う事らしい。だからたとえフラれたとしてもクエスは彼女をクビにしたりは出来ないのだ。
「ほぇ~、そんな事情があるんだ」
「そうっス、でもセイヴァさんは社長に甘いっす」
「え、そうなの? そんな風には見えないけど。て言うか、二人が日頃どう接しているか見た事ないから分からんけど」
「絶対にセイヴァさん社長のこと好きっス!」
「え、そうなのか? 振ったんだろ? レズだって言———」
すると急にセイヴァ女史がスクッと立ち上がったので、俺もリコも驚いて身構える。
「そう言えばお茶の用意をしていませんでしたね。此処に就職するとは言え、オルパーソンさんは今日はお客様でもありますから」
「ああそんな気を使わなくても‥‥‥」
「いえ、私も丁度お茶を飲みたいと思ったので序です」
「そ、そうですか其れじゃ‥‥‥」
「あ、あの~僕は‥‥‥」
「良いです。ヘイド君のも入れて差し上げます」
「ありがとうございますセイヴァさん」
セイヴァは部屋の片隅に置いてあるポットの所へ行って3人分のお茶を入れる。取りあえずお茶を入れてくれるので優しい人ではある様だが、如何せんあの無表情では色々と誤解を生みそうだな。
そしてセイヴァはお茶の入ったティーカップをトレーに乗せて持って来ると、俺たちの前に置き、自身はピンクのキューピットを思わせるシルエットの描かれたティーカップをもって自分の席に戻る。結構可愛らしいティーカップ使ってるんだな。そう言う所は女性らしくて安心する。
「おおう、帰ったぞ」
するとこのタイミングでクエスが帰って来た。社長のご帰還に逸早く反応したセイヴァさんは、すぐさま立ち上がってカツカツと明らかにワザとヒールの音を大きく鳴らしてクエスの許に向かう。こっから修羅場が始まるのかと俺は期待する。
「社長‥‥‥」
「うわぁ!? なんだよ驚かせるなよシェルク」
セイヴァさんがクエスの行く手を阻むと、彼奴は大袈裟なジェスチャーで驚く。そしてグイグイとあの無表情をクエスの顔に近付け、彼奴をたじたじにさせている。
「なぁなぁ今のは如何いう顔だ?」
俺はこれから始まる修羅場に内心興奮気味に隣のリコに話しかける。
「怒ってるっス」
「やっぱりそうなのか。でも、さっきと変わって無い様に見えるけどな」
「だから行ったっス、セイヴァさんの表情を読むのには2年かかるっス!」
「お前さっき1年て言ってなかったか?」
「そ、そうだったスか‥‥‥気のせいっス」
段々後輩君の言葉も怪しく感じて来た。て言うか、この場所に雑誌社開いたのは半年前だよな、リコがセイヴァと一緒になったのは半年前だからそもそも1年も経ってないはずである。と疑問に思ったが、今はクエスとセイヴァの修羅場の行方の方が気になるので、その疑問は後にしよう。
「社長、私の調査依頼をすっぽかして何処に言っていたのですか?」
「えっ!?」
セイヴァさんの言葉にクエスは一瞬狼狽え、そして俺たちの方を見たので当然ながら俺は生暖かい目で彼奴の視線に応えてやった。そのまま簀巻きにされちまえ!
だが彼奴は一瞬だけ俺たちに怒りの表情を見せただけで、その直後にセイヴァに視線を戻して軽く溜息を付くと、手に持っていた箱を彼女の視線に入る様に持ち上げる。
「ほ~ら、シュークリームとエクレアだぞ~。何時も面倒な事務処理を片付けてくれてるからな。社長としての心遣いってやつだ」
あ、お菓子で釣りやがった。俺がそう思った瞬間、セイヴァ女史はその箱をクエスから奪い取り、すぐさま踵を返して自分の席に戻ろうとする。が、一旦止まってクエスの方に振り返る。
「こんなもので赦されると思ったら大間違いです」
「わーってるよ。最近出来たあの店のシュークリームだ」
最近出来た店と聞いたセイヴァさんは素早い動きで自分の席に着くと、早速箱を開けて中身を確認する。こっからでは何が入っているのか見えないが、彼奴の言葉を借りればシュークリームとエクレアが入っているらしい。ただ中身を見た彼女の顔が一瞬綻んだ様に見えたが、其れも一瞬の事で今では無表情に戻っている。そして箱の中からシュークリームを取り出して食べ様としたが、俺らの視線に気付いて食べるのを止める。そして「本当にこんな事で赦さないんだから」と、再度念押しみたいにクエスに言ってからシュークリームにパクつく。甘い物に弱いとは結構可愛いとこあるな、セイヴァさん。
「一瞬笑ったような‥‥‥」
「え!? 分かったんスかセイヴァさんの表情が! 分かるのに3年もかかると言うあの表情を」
もう如何でもいいわ。と俺が思っていると、クエスからお声が掛かる。チクった事へのお小言だろうか。多分そうだろう。修羅場が見れなくて残念だよ。
「おい、よくも彼奴にサボった事チクったな」
「サボる方が悪いんだろ」
「チッ、ま、まぁ其れはいいとして、それにしても取材早く終わったみたいだな。俺はてっきりまだ帰って無いと思ったんだがな」
「取材はしてないっス」
「何だよオメーらもサボりかよ!」
「チッ、しょうがねぇな‥‥‥」
俺は同じ事を何度も話すのが少々面倒になりつつあったが、話さない訳にも行かないのであの事故物件の真相をクエスに話す。
「って事は何か? 出来た頃からのハウスキーパーの不具合が原因だと、それで面白そうだからそのままにしてあったと、そんで今では高額の修理代が掛かるから直してないと?」
「そう、それが真相。ミステリーの「ミ」の文字も無い話」
「何だよそんなオチかよ。サボって正解だったな」
「おい、取材サボるなんてジャーナリズムの欠片もねぇのかよ」
「うっせぇな! 俺は社会派なんだよ。ミステリーは専門外」
後ろにいるセイヴァ女史を怒らせない様に気を使ったのか、クエスは「ミステリーは専門外」と言う部分だけ小声になる。とは言え、俺は此処で雇ってもらう条件として事故物件の取材を肩代わりしたのだ。結果的に取材してないとしても、約束通りここで雇ってもらえるはずである。
「じゃあ、俺は今日から雇ってもらえるって事で‥‥‥」
「悪いがそれはまだだ」
「おおい! 約束が違うぞ!」
「お前と別れた後に思い付いたんだが‥‥‥」
俺の反応を見るように言葉と止めたクエスに、俺は嫌な予感と約束を破られた怒りとで物凄く嫌な顔をして見せる。
「今のお前にしか出来ない仕事‥‥‥取材をやって欲しい」
今の俺にしか出来ない取材? 一体何をやらせるのか知らないが、取材と聞いて興味を持った俺は取りあえずクエスの話を聞く事にした。
「ああ良いぜ。話だけは聞いてやる」
「フッ、そう来なくっちゃな」
クエスはニヤリと口角を上げると、俺が使っているデスクに飛び乗って座る。が、その直後にセイヴァ女史に注意されて慌てて居りる。幼馴染に注意されてバツの悪そうな表情になっりつつ、クエスは俺の隣の誰も使っていないデスクに移動し、キャスター付きの椅子の背もたれを前にして座り、仕切り直しとばかりに俺にやってもらいたい取材のを話し始めた。
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