怠惰に創作

細々と小説の様なものを創作しています。設定など思い付いたように変更しますので、ご容赦ください。

初代皇帝とバルア事変 FILE1

宇宙暦193年某日、俺は……私は第4惑星・ゲーティア皇国に来てから一週間が過ぎていた。その間、色々な人々に取材を行い、色々な話を聞いていたが、第3惑星エレメスト統一連合の政治家共が言うような「悪の国家」と言うイメージは無い。国民はとても親切で、殆どの人が取材を受けてくれたし、監視社会によるガチガチの独裁国家と言う訳では無い。寧ろ自由国家を自称している我々の祖国と同じくらい自由な国である。

まぁ、俺……私は政治家の言葉は全て嘘だと思っている人間だから、そう言う事には耳を貸さないのだが……。

しかし連合の国民の中には、皇国を悪の独裁国家だと思っている者も多い。悪の独裁国家ってなんだよと思うが、国民には分かりやすいし、何より自分たちと違う者に対して善と言うイメージは持ちにくいだろう。あくまで自分たちが正義側で、相手は悪側で物事を考えてしまうものだ。だが、ここに来て少し彼らと付き合ってみれば、自分たちと変わらない人間だということが分かる。

無論、この国にも「えっ!?」と思うようなことは多々ある。街を歩けばそこら中に防犯カメラがあり、ロボット警察犬がうろついている。これを聞けば連合国民の中には完全なる監視社会だと声を大にするだろう。だがあくまでもカメラは防犯であって監視ではないし、警察犬も警官がパトロールする代わり位のものなのであろう……多分😅。

とまぁ、そういった事は置いといて、今回は、お……私が滞在している「バルア・シティ」で起こった大事件の話をしたいと思う。

通称「バルア事変」この事件はゲーティア皇国にとって、その後の歴史に大きく関わる事になった事件と言っても過言ではない出来事である。

因みに「事変」ってどういう意味か分かるよな。国を揺るがすような大事件、例えばテロだったり内乱だったり、国内が非常事態や騒乱など警察では対処できないような事件の事を言うんだ。話がそれたが、そういった大事件が皇国にも起きたのである。それがバルア事変だ。

概要はこうだ。宇宙暦169年1月16日、その日は皇国にとっては13回目の独立記念日である。皇国では毎年この日になると皇族たちがバルア・シティに集まり、独立を祝う祝賀会が催される。皇族がここに来るのは独立した当時の時点では、このバルア・シティが首都だったからだ。この日には、バルア中央庁舎内にある大ホールで独立記念祝賀会パーティーが行われ、皇族を始め、主だった貴族や政治家、高級軍人とその家族が集まっている。その会場で爆弾テロが起こったのである。爆発は多くの死傷者を出し会場はパニック状態に陥る大惨事だったが、その中には皇后である「テリーサ」と皇太子の「アルデル」も含まれていて、ウルギア帝と皇国にとって最大の悲劇となった。

この事件で皇后と皇太子を同時に失ったウルギア帝の落胆ぶりは尋常ではなく、政治への意欲も失われ、代理として長女のパウリナが政務を行ったほどだ。そして翌年の宇宙暦170年1月7日、14回目の独立記念日を前にして、帝位を皇女パウリナに譲って退位した。ゲーティア皇国国民にとって最も喜ばれるはずの独立記念日は、ウルギア帝にとって愛する妻と息子を失った最悪の日となったのである。

それ以降、彼は表舞台に姿を見せることはなく、離宮の奥でヒッソリと隠遁生活を送る事になる。そして5年後の宇宙暦175年3月5日、75年の生涯を閉じたのだった。

これが初代皇帝ウルギア・ソロモスの生涯となる。その手腕で初めての宇宙移民の独立国家を設立させた偉大な指導者ではあるが、その晩年は悲劇で幕を閉じたと言ってもいい生涯であろう。これに同情する国民も多く、彼の事を「偉大かつ悲劇の指導者」と、多くの国民が評している。

では、此処でバルア事変についてもう少しだけ詳しく説明しよう。この事件には大きく分けてふたつの疑問点が存在するのだ。

この事件については、二十数年たった今でも新聞で発表されたこと以外は公表されていないので、基本的にはそれに沿ったものになるのはご了承頂きたい。

まず、最初に疑問に思うことは、何故、警備が厳重である筈の祝賀会会場で爆弾テロが起こり得たのか? と言う事である。この疑問についてはパーティーで出される料理を支給する給仕が犯人だった。と、新聞では報じられている。その給仕はウルギア帝を始め皇族が居るテーブルに近付いた。が、流石に不信がった近衛兵のひとりが彼に話しかけた瞬間、「裏切り者に死を!」と言い放つと同時に、隠し持っていた爆弾を起動させて自爆したのである。無論、犯人は木っ端微塵となって身元を判別できず不明だが、状況証拠からアフラ解放戦線の残党であると新聞では公表されている。

アフラ解放戦線は、4年戦争終結と共に失われた訳では無い。戦争継続に消極的になったエレメスト派によるクーデターによって、戦争継続派のアフラ派が打倒されたことで呆気なく終了している。と言うのを以前、サラッとだが説明したと思うが、あの時は説明不足だったので少し補足させてもらう。

アフラ解放戦線は、最高指導者「アグリナク・チェイスロア」によって組織されたのだが、その内部にはアフラ(月)出身者と、彼らの※独立に協力する第3惑星出身者のふたつの勢力が存在していた。前者がアフラ派、後者をエレメスト派と呼称して2大派閥となっていたのだ。これは最高指導チェイスロアの手腕によって均衡を保たれてはいたが、彼の急死により均衡が崩れ、その後は対立を深めていくことになる。基本的には在地人の集まりであるアフラ派が数的にも多い為、チェイスロアの後継として政権を握る形となるが、その事でエレメスト派が不遇を託つ状況になるのは無理からぬことであろう。更に宇宙での絶対の守護者であった「月の魔女」の戦死によって、敗色濃厚になると、元々は自分たちの祖国である連合と戦っていると言う今更ながらの葛藤と、政権をアフラ派が独占している状況を鑑みて、連合と水面下で交渉しつつクーデターを計画したのだと言われている。

ご存知の通りクーデターは成功し、エレメスト派は※月新政府樹立と連合との※終戦交渉に入り、4年戦争は終結した。しかし、このクーデターの際に多くのアフラ派の高官は逮捕されたが、一部の高官が逃走に成功しており、エレメスト派による連合との講和条約に反発し、同じく終戦を受け入れない将兵を糾合して「ネオ・アフラ」と称したテロ組織を結成、第3惑星圏で度々テロ行為を行っている。

だが、彼らの恨みを買っているのは売国奴のエレメスト派(現月政権)や連合だけではなく、戦争末期の土壇場になって連合に付いた皇国も、「裏切り者」としてテロ対象になっていても可笑しくなかった。その事から、犯人が自爆する直前に「裏切り者!」と叫んだと言う証言を得たので、犯人がネオ・アフラの工作員であると公表したのだ。其の為、事件発生直後には、新聞各所で「遂にテロが皇国にも!」と大々的に報じられ、国民の危機意識と反テロ意識を高めるような報道がなされている。

只、皇国が今までテロの対象になった事は無く、この時に初めて起こったテロ事件だった。何故13年もの間、テロ対象から除外させられたのか、そして、如何してこのタイミングでテロの標的にしたのかは分かっていない。これがふたつめの疑問である。これについては専門家と呼ばれる人種が色々な意見を上げてはいるが、どれもこれも今一つなので割愛するとして、今でもこのふたつの疑問については明確な答えは出ていない。

この記事を読んでいると不意に、もしかすると‥‥‥この事件の犯人はネオ・アフラでは無いのかも知れない。と言う思いが頭を過るのだ。俺にそう思わせたのは、事件後のネオ・アフラの行動である。事件後に自分たちが関与したと表明するメッセージが無いからである。ただ、事変直後に第3惑星内で逮捕されたネオ・アフラの幹部の証言で、バルア事変の関与を仄めかす証言があったため、以降バルア事変はネオ・アフラによる爆弾テロと認定されている。

俺は納得がいかないんだけど、かと言って特に証拠があるわけじゃないから記事に書いてある事は嘘だとも言えないんだけどな。

 

                    ★

 

ホテルの部屋で一息ついていると、内線が入ってロビーに「お客様」が来てると言われた。

—――客? 俺に? 

皇国に知り合いなんていない俺はチョット困惑した。この国で俺の知り合いと言ったらガイドのハン親子ぐらいだ。彼らには通信端末の番号を教えているので、要件があれば直接連絡が来るだろうし、取材の時にバーで酒を飲んで意気投合した人はいるが、その時だけの関係だからこの一週間で友人関係になった者はいない。

―――一体誰だ?

考えても仕方が無いので、俺はその客に会うためホテルのロビーへ向かう事にした……

 

続く

 

※「独立に協力するエレメスト出身者」・当時、エレメスト以外に赴任している連合の政治家や軍人は左遷組と揶揄されており、彼らは連合中央政府に強い不満を持っていた者も少なくなかった。そう言った彼らを解放戦線は自陣営に取り込むことで、無駄な争を無くしてスムーズに月を手に入れる事に成功している。

※「月新政府」・エレメスト派の高官たちによって結成された新政府。一様、今回の戦争の経緯を鑑みて自治などを認められていると言うが、実態は連合の完全なる傀儡政府である。エレメスト派のリーダー格であった「ヨクト・N・キッポス」がそのまま首相に指名されたため、キッポス政府とも言われている。現在(宇宙暦193年)は3代目のシーナス・N・ポッツが首相の地位についている。

※「終戦交渉」・政権を奪取したエレメスト派は、終戦に向けて連合と交渉を始めたとなっているが、クーデター計画時点での交渉時に既に大まかな流れが纏まっていたと言われている。