怠惰に創作

細々と小説の様なものを創作しています。設定など思い付いたように変更しますので、ご容赦ください。

3代皇帝と軍事政権 FILE2

7月事件によって成立した軍事政権ではあったが、蓋を開ければ「パウリナ条約」の破棄か継続かで対立が起こり、国内統治と言った点では全く機能しない体たらくぶりを晒す事となった。この事態が余り公けにならなかったのは、民衆が軍事政権に対して無関心だった事が大きいだろう。首都全体が密室と言うミシャンドラ・シティの特殊性から報道される事も無く、さらに軍事政権になっても、首都以外の他の都市群がとりわけ厳戒態勢に移行した訳でも無く、生活は至っていつも通りで変わらなかった事が、民衆の新政権である軍事政権(新皇帝)への関心を薄れさせたのだろう。

領主貴族に至っても、触らぬ神に祟りなしとばかりに、軍事政権に対して不満はあれど直接抗議を行う貴族は居なかった。彼らにとっては自分の一族が、これからも領主として都市の統治が出来れば文句は無かったのだろう。

因みに、ロプロッズ父子が居なくなって統治者不在となった「ベリト・シティ」は、軍部が任命した臨時行政官(総督)によって後任が決まるまで統治される事となり、その臨時行政官補佐(副総督?)には、少将に昇進したネクロベルガー総帥が付く事になったのだ。

俺はこの人事を意外に思ったが、少将ではそれほど重要なポストに就くにはまだまだだったと言う事かもしれない。せめて中将にならないと‥‥‥いや行政官補佐も重要ポストか? でも軍部の行政委員会の適当なポストについても可笑しくないと‥‥‥。

話しを戻そう。その一方で軍事政権内では、条約破棄派と継続派の溝は日に日に増して行く事になり、遂には軍事政権の行政委員会構成委員の一人である、ダルメ大将が暗殺されると言う悲劇にまで発展する。この事件以降、政権内では会議が開かれる度にダルメ大将暗殺の黒幕が条約破棄派なのか条約継続派によるものなのかと言う議論が行われる事となり、翌年には遂に会議自体が開かれなくなると言う事態にまで発展した。

後に判明するのだが、ダルメ大将を暗殺したのは如何やら条約破棄派の様だ。と言っても、先に動いたのはダルメ大将の方だと言われている。大将は、継続派の両総長と裏で繋がり、ロイナント大将の暗殺を企てていたらしい。理由は簡単で、クーデター後に大将に昇進して軍行政委員会の委員になったものの、軍での地位は以前北部方面軍第5軍団長のままだったからだ。その一方で、ライバルであるロイナンド大将が北部方面軍司令官となり、軍行政委員でも議長を務めている事が許せなかったのだろう。

結局の所、此れもロイナント派が記した事なので如何なのかは分からない。歴史は勝った者が記録するである。

話しを戻すと、その後も破棄派、継続派は軍高官への自陣営への取り込み工作を行い、有る将軍が一方に付いたとなると、懐柔策や或いは脅しが平然と行われる事となる。特に脅しはダルメ大将の暗殺事件が功を奏しているのか、高級軍人たちは破棄派と継続派の間をコウモリの如く揺れ動いていた様だ。

そんな混乱した情勢の中、また新たな事件が起こる。

時は宇宙暦178年3月19日、軍政省庁舎内での爆発物発見事件である。

爆発物発見? 爆発物を発見しただけで爆発した訳じゃないんだ。と思うかもしれないが、天下の国防軍の一庁舎内で、公然と爆発物が仕掛けられていたのだ、大きな事件で問題でもある。

では、一体誰がそんな大それた事をしたのか? この犯人に付いては今もって不明である。その理由は、この件に関しての調査が行われなかったからである。

では、なぜ調査されなかったのか? それは爆発物を仕掛けられた軍政省の長、軍政省大臣(総長)のミニッツ上級大将が調査する事を許可しなかったのだ。犯人探しをしない理由を、彼はこう述べている。

 

「犯人など捜さずともわかっている。条約破棄派の連中である」

 

と言って体で条約破棄派の犯行だと決めつけたのである。

当然ながら条約破棄派は容疑を否認し、特にロイナント大将は激怒してこう述べた。

 

「そんな子供でも分かる様な事をする筈がない。これは明らかに継続派の自作自演である」

 

と疑惑を一蹴し、逆に条約継続派の陰謀であると言ったのだ。

この日以来、国防軍庁舎周辺で次々と事件が起こる事になる。やれ爆発物が見つかっただの、銃弾が撃ち込まれたのと、一歩間違えれば死傷者が出るような事件が頻発したのである。ただ多くの事件はこう言った事実は無いとされ、要は相手を非難するためにでっち上げた虚構の事件だったとも言われている。

如何もやってる事が子供っぽく見えるのは俺だけでは無いだろう。この時の皇国の政治を担っていたのはこう言った人たちだったのだ。先に言ってしまうと政権が崩壊するのは当然とも思える。

とは言え、殆どが虚構と言っても実際に起こった事件もあり、そのため委員会員や高級軍人たちは、公私に関係なく常時ボディガードとして武装した兵士を引き連れる様になる。こうした軍人たちの物々しい行動に貴族や政治家、官僚は不満を持った様だが、武装した人間に逆らえるほど勇気がある訳も無く、彼らは自分が巻き込まれるのではないかと言う恐怖と不安に怯えながら、日々の業務を遂行する事になる。流石の図太い貴族や政治家たちも、一方に付けば命を狙われるかもしれないと分かると、完全中立を守る者が多かった様だ。

と行き成りだが、此処でゲーディア皇国首都ミシャンドラ・シティの内部について軽くだが説明する。ミシャンドラは、他の都市と同じく居住区は地上部、1~3階の地下部となっている。その下に最下層である地下4階の廃棄処理場があるのも、食料生産プラントや宇宙港、発電所等が外部施設として都市外にあるのも同じである。但し通常の都市が地表はビジネス街や娯楽施設などが集中して、居住しているのが市長である領主貴族とその家族位(あとはホテルを利用している者)であるに対して、ミシャンドラの地上部は中央に皇族の宮殿があり、その周囲に序列に従って領主貴族たちの別邸や宮廷貴族の邸宅がある。1ヘクタールに付き地代が100万ルヴァーだそうだ。

話しを戻して‥‥‥他都市なら一般市民が住んでいる地下の居住区。そのB1にあるのが行政関係の施設が立ち並ぶ区間である。議事堂や各省庁の庁舎、政治家や官僚家族の居住区があるのもここである。後、幾つかの研究所などもここにある。

次にB2だが、ここにあるのは軍関係の施設である。国防軍の各セクションの庁舎、軍人とその家族の居住区、士官学校と士官候補生の寮、訓練場や訓練兵の寮等々の施設がある。

最後にB3だが‥‥‥空洞で何も無い。「空洞? 無い?」と思うかもしれないが、あの当時は無かったのだ。強いて言えば兵器の実験場だったとも言われているが、詳細は不明で、この後に「ミシャンドラ学園」と言う巨大な化け物学校が出来るが、それまではただの空洞だったと言うのが一般的である。ただ、600平方キロメートルの面積にミシャンドラ学校が1年足らずで完成したと言う事実から、元々ここには何かしらの施設群があったと俺は睨んでいる。でなければ、一から建物を建造していては1年で完成するはずがない。再利用できる施設群があったとしても可笑しくは無い。まぁ其れに付いてはオイオイ調べるとして‥‥‥。

こうしてみると、貴族や政治家からすると下の階での出来事で対岸の火事にも見えない事も無いが、当然ながら軍人たちがB2だけに居座っている訳では無いし、特に軍事政権下なので、B1の行政階には以前よりかは頻繁にと言うか、多くの軍人官僚が入っていたであろう。故に宮廷貴族、政治家、官僚達には迷惑この上ない事だった様で、取り入るのも難しいとなれば逃げたくもなる。実際に宮廷貴族の中には、親族にあたる領主貴族の下に逃げ込んだ者も多いらしい。

そんな混乱の中、両派閥の争いに終止符が打たれる事となる。

発端は「軍政省庁舎爆発物発見事件」から2か月以上が経った5月29日、軍事政権になったにも拘らず、派閥抗争を続ける行政委員会をはじめとする軍上層部に不満を持った100名ほどの若手将校(ほぼ尉官)たちが、軍政省庁舎内で抗議デモを起こした事に端を発する。軍政省で起こったのは、実際に政治を担うのがここだったからだろう。

抗議デモ対して軍政総長のミニッツ上級大将は、憲兵隊(※)を出動させて威圧よる収拾を試みたのである。これは火に油を注ぐ行為であった様だ。憲兵を見て半分程の士官が尻すぼみしたが、残る半分の若手将校たちは激怒し、憲兵との乱闘騒ぎにまで発展してしまう。遂には暴徒と化した23名(他は憲兵に取り押さえられた)の若手将校たちは、軍政省庁舎の一室にバリケードを設置して立てこもると言う事態になり、憲兵隊との間で睨み合いが続く事となり、立てこもり事件は1か月近く経った6月24日まで続く事となる。

何故、立てこもり事件は1ヶ月近くも続いたのか?

これにはミニッツ総長の初動ミスが原因だと言える。立てこもり事件が起こった際、当初は軍令本部総長のカーネラル上級大将に軍の出動を願い出るつもりだったが、事を荒立てて条約破棄派に付け入る隙を与えないために、自らが動かせる憲兵隊だけで解決しようと試みたのがそもそもの間違いだったのだ。これにより、一気に突入して鎮圧する事が出来ず長期化したのである。

憲兵隊と言えばこういった事に特化して居そうではあるが、少し前まで宮廷警察などが幅を利かせていたので、予算がそちらに流れて憲兵隊は軍縮の煽りを受けてかなり小さな組織となっていて、二十数人ばかしの立てこもりと言えども、憲兵隊だけで解決するのには力不足だった様だ。

さらに、ミニッツ総長としては、立てこもった士官たちは全員丸腰であり、そんな彼らに銃器を向けて発砲などしようものなら、無抵抗の相手を撃ったとしてデモに参加していない他の士官たちからも悪い印象を受けかねない。最初は憲兵隊が動く事で相手の戦意をくじけさせるのが目的だった様だが、此処に至っては出来るだけ交渉による穏便な解決法を採用するしかなかったのだろう。お陰で憲兵や立てこもり士官23名に死傷者はおらず、何とか無事に立てこもり事件を解決したのだ。だが、爆発物発見事件に続いて立てこもり事件と2度にわたる不祥事、さらに立てこもり事件に関しては、解決に1ヶ月近くも掛かった事に、ロイナンドをはじめとした条約破棄派から責任を追及され、初めは抵抗したものの、遂にミニッツ総長は皇帝に辞表を提出して軍政総長の職を辞したのである。

ミニッツの失脚は彼の盟友だったカーネラル軍令本部総長にも飛び火し、彼が職を辞した5日後に辞意を表明したのである。

そして空位となった両総長の内、軍令本部総長に元北部方面軍司令官トマス・ロイナンドが、軍政総長(大臣)には元南部方面軍司令官エメルダル・ジネラーが後任として就任した。

これにより条約破棄派による軍事政権の意思統一がなされ、此処からロイナンド、ジネラー両総長による二頭政治が行われるのだ。が、その裏で皇帝が動き始めている事に彼らは気付きもしないのだった‥‥‥。

 

と言う訳で、最後は3流小説みたいな終わり方をしたが、次回は軍事政権の崩壊と、これまで全く出番の無かったサロス帝の軍事政権内での動きを話そうと思う。

 

 

 

 

 

※・憲兵隊は、別名軍事警察(軍警察)とも呼ばれ、戦闘支援兵科の一種であり、軍隊内部の治安維持や交通整理が主な任務である。

皇国では、憲兵隊本部(軍事警察本部)は軍政省の一部門で、軍人官僚だらけの軍政省内では珍しい武装組織である。なので、軍政総長(大臣)が唯一動かせる武装集団でもある。

後に皇国近衛軍指揮下に入り、最終的には皇国親衛隊に組み込まれる事になる。